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しらせ最後の航海へ
 第3代南極観測船・砕氷艦「しらせ」(海上自衛隊AGB5002)が11月14日、南極へ向けて最後の航海に出ました。1982年11月に就役してから今年で25年目、老朽化のために今回の南極航海を最後に引退します。
 今回の出港は「第49次南極観測支援行動」で、往路は第49次日本南極地域観測隊(夏隊、越冬隊)の輸送、復路は同49次隊(夏隊)と現在越冬中の48次隊(越冬隊)の輸送を担当します。また、昭和基地到着後は基地作業支援も行います。
 これまでの南極観測船は、初代「宗谷」が「船の科学館(東京)」に、2代目「ふじ」が「名古屋港水族館(名古屋)」にそれぞれ展示保存されています。しかし、これらはいずれも莫大な維持費を要し(ふじは改修に13億円、年間維持費3000万円)、そのためさらに多くの費用が必要(約90億円)となる「しらせ」については引き取り手が決まっていない状態で、このままでいくと廃艦となります。日本の南極観測を支え、世界有数の能力を誇るこの砕氷艦をこのまま廃艦としてしまうのは、何とも寂しくもったいない事ではありますが、あまりにも費用を要するのが難点です。
 現在、次期観測船は舞鶴のユニバーサル造船にて建造中。そのため49次観測隊(越冬隊)を迎えに行く船が無くなります。そこで、南極本部では49次越冬隊の迎えについてはオーストラリアの砕氷船「オーロラオーストラリス」をチャーターして行う予定です。ちなみにこのオーロラオーストラリスは、かつて「しらせ」が救助した船です。プロペラの故障により氷海に閉じ込められていたところを「しらせ」によって救われました。
 さて、現在建造中の次期観測船はその名称を公募しておりましたが、このたび再び「しらせ」とすることに決定されました。保存が絶望的である現「しらせ」を、せめて名前だけでも存続させたいと、日本人初の南極探検家・白瀬矗(のぶ)中尉の出身地である秋田県にかほ市(旧 金浦町)の人々などの多数応募によって決定となったようです。
 船名選考委員会では、現「しらせ」は次期観測船就航前に船籍を失うので重複することはなく混乱は生じない、との判断により決定されたようです。(注:砕氷艦「しらせ」の名前は、南極大陸エンダービーランドにある「白瀬氷河」に由来します。)

 3代目観測船「しらせ」。1983年の就航から24回の南極航海で約120万km、地球30周分を航海し、世界有数の砕氷能力を持ち昭和基地に接岸できなかったのは1度だけ(35次)、氷海に閉じ込められたオーストラリアの観測船を2度救出した他、海難者を救助したこともあり、輸送能力の向上により、昭和基地での大型施設建設や昭和基地から出た半世紀におよぶ廃棄物の回収などに貢献し、今スクラップの危機に瀕しています。
(2007.11.15 婦長)