南極に関するニュースを載せています。
文責:広報担当・佐藤之紀


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し ら せ 解 体 処 分

 去る10月24日、南極地域観測統合推進本部(=南極本部。文部科学省)は、退役した南極観測船「しらせ」(海上自衛隊砕氷艦AGB5002)を解体処分にすることを決めました。スクリューやネームプレートなどの一部を保存するのみで、本体そのものはスクラップとなってしまいます(写真:2004年正月・昭和基地沖に碇泊中の「しらせ」)。
 これまで、文科省と防衛省は、退役後の引き受け先を募集しており、民間企業などから応募があったそうで、最後には広島県の企業が提案する「海上博物館」構想が候補に残っていたそうですが、展示用への改修費約10億円や、年間維持費1億円が障壁となり、最終的に断念したもようです。
 「しらせ」は25年間にわたり名実共に我が国の南極観測を支え、世界屈指の砕氷性能を誇る船でした。氷海に閉じ込められた外国の砕氷船を救出したり、海難遭難者の救助なども行いました。そして、1982年就航(第25次)以来のべ6000名近い観測隊員・海上自衛官の思いを乗せて、スクラップにされます・・・。
 残念です・・・。
(2008.11.16)


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南極観測用ウェア意匠登録

 国立極地研究所(東京都板橋区)によると、同研究所と大阪樟蔭女子大学が共同で開発したウェアが意匠登録されたとのことです。
http://www.nipr.ac.jp/info/notice/20080922ware.html
 写真は2004年7月27日に北の浦海氷上付近で撮ったものです(45次隊)。テスト的に新型防寒衣を着た隊員が写っていますが(右)、ちょうど新旧防寒衣の比較になっています。
(2008.11.16)


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板橋最後の「隊員室開き」

 国立極地研究所(東京都板橋区加賀)では、9月1日18時から50次隊(第50次日本南極地域観測隊)の「隊員室開き」が行われたようです。同研究所は来年、立川に移転するため、これが板橋最後の「隊員室開き」になりました。
 「隊員室」とは、観測隊の「設営部門」の隊員達が出発準備を行う場所のことで、同研究所の研究棟の1フロア半分を利用した倉庫隣接の事務室です。あらゆる物品の調達から基地生活に関する様々な事案を取り扱い、この「隊員室開き」をもっていよいよその隊次が本格的に始動することを意味します。
(2008.9.1)


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「しらせ」退役式

 7月30日、第3代南極観測船・砕氷艦「しらせ」(AGB5002)の「退役式」が行われました。詳細は不明ですが、おそらく母港である海上自衛隊横須賀地方隊にて執り行われたことと思います。
 「しらせ」は後利用について4企業/団体と1個人から引取りの名乗りがあったのですが、すでに個人検討の方は断念したもようです。かかる費用は改造費10億、推定年間維持費1億とのこと。
(2008.7.30)


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文科省 しらせ後利用検討委 開催

 文部科学省が7月25日に発表したところによると、7月10日に開催された第132回南極本部(南極地域観測統合推進本部)総会において、南極観測船「しらせ」の退役後の利用に関する検討を行うため、同本部に「『しらせ』後利用に関する検討委員会」を置くことが承認されたとのことです。
(2008.7.25)


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昭和基地周辺の小島に日本語名命名

オングル海峡 7月10日に開催された第132回南極本部(南極地域観測統合推進本部)総会において、昭和基地周辺にある6つの小島に日本語の名前を付けることが決まったとのことです。
 付けられる名前は、「ひょうたん島」と「米粒島」、「斧島」「斧柄島」「泊島」「北岩島」の6つで、前者4島は形状に由来し、「泊島」は、「しらせ」が付近に漂泊したことが由来とのこと。また「北岩島」については地理的由来で、既存の「岩島」の北に位置するからだそうです。
 南極の地名は、既に外国が命名している場合が多いのですが、まだ公式に命名されていない場所について付けることができるそうで、和名は既に約310件あるらしいです。今回の命名は1994年以来だということです。
(2008.7.10)


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48-49次隊 帰国

 48次越冬隊と49次夏隊が南極での任務を終え、本日空路で帰国しました。お疲れ様でした。
 両隊が到着する成田空港では、隊員の家族や会社の仲間達が出迎えるほか、歴代観測隊員も出迎えに行くことでしょう。
(2008.3.27)


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48-49次隊 越冬交代式

 48次越冬隊と49次越冬隊が昭和基地での任務を引き継ぐ「越冬交代式」が2月1日行われました。49次隊29人の越冬隊員が、一年間昭和基地で生活します。
(2008.2.1)


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1次隊上陸式地点 訪問(49次隊)

 1月29日、49次隊(第49次日本南極地域観測隊)はちょうど51年前に第1次観測隊が上陸式を行った地点を訪れたそうです。
 一行は上陸式地点を示す看板を設置し、51年前に使った竹竿を使って国旗を掲げたそうです。
 さて、この地点ですが、第一次越冬隊長の西堀栄三郎氏の手記「南極越冬記」によれば、ここは「N基地」と呼んでいた場所かもしれませんね。西堀さんの頭文字「N」を取ったとのことで、西オングル島にあるようですが、西堀越冬隊長がヘリで降り立ち「旗揚げ式」を行ったのが、西オングル島のN基地で、おそらく今回日の丸を掲げた場所ではないかと思います。
 なお、昭和基地は、犬ぞりで偵察した渡辺兵力(ひょうりき)氏の隊が決め、「W基地」と呼ばれていたようです。
 ついでに、同書によれば、最初予定していたのは昭和基地のある「リュツォホルム湾」沿岸の露岩地帯だったそうです(スカルブスネス?)。
(2008.1.29)


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稚内・しらせ保存キャンペーン

 「宗谷」「ふじ」に続く三代目の南極観測船である「しらせ」は、1982年の就役から活躍し、今年(2008年)4月でその役目を終える事になります。
 引退後の扱いについては現在どうするのかはまだ決まっておりませんが、スクラップになる可能性が高いのが現状です。
 そこで稚内市では、この歴史的価値の高い「しらせ」を同市で保存し、南極観測の歴史を伝える計画「南極観測船"しらせ"誘致キャンペーン」があがっています。
 その一環として、1月26日(土)から27日(日)にかけて、誘致イベント「"しらせ"よ タロ・ジロの故郷稚内へ進路を取れ」が行われます。
 会場は稚内市立図書館。午前10時から午後4時まで行われ、しらせの写真展、クラフト作り、科学館と水族館のバスツアー、46次越冬隊の近江隊員の講演などが企画されています。
 今日までの我が国の南極観測事業を支えてきた「しらせ」。世界有数の大型で高性能なこの砕氷艦の就航により、昭和基地は飛躍的に進歩しました。そればかりではなく、氷海に閉じ込められた各国の艦船を救助したり、南極地域での他国の傷病者の救助、国内海域での人命救助など、その活躍自体も特筆すべき実績があります。

南極観測船「しらせ」保存キャンペーン・誘致イベント
「"しらせ"よ タロ・ジロの故郷稚内へ進路を取れ」 開催要項
日時1月26日(土)〜27日(日) 10:00〜16:00
会場 稚内市立図書館
(稚内市大黒4丁目1番1号)
開催内容しらせ写真展、クラフト作り、
科学館・水族館バスツアー(南極の夜空を体験、先着45名)、
第46次越冬隊・近江隊員の南極かたりべ、他
主催 稚内市教育委員会、稚内市水族館科学館再生検討委員会
詳細南極観測船「しらせ」誘致キャンペーンHP
(2008.1.25)